サツキとフウノキ、そしてプール

インゼル文庫やKing Penguinシリーズの鳥や昆虫や植物のイラストレーションのタイトルが売り切れていたので補充注文を出していました。
今日、その一部が入り、来週にも小包が届く予定です。
小さな商品群をまずは充実させて、しっかりと基礎的な数字を作り上げていきたいな、と昨夜、薄雲の中に浮かぶ月を見上げて、あらためてそう思いました。

今日は久しぶりに泳ぎに出かけました。
ずっと雨雲に閉ざされ、傘にさえぎられていた視界に、フウノキの新緑とサツキの白やピンクが突然飛び込んで来て、うれしかった。
信号待ちの女性が木陰に肌をかくすほどの陽気。
初夏です。

となりのコースの人がゆったりクロールで泳いでいたので、それをまねているうちに、シンクロというか、同期するというか、ちょうどスキーでうまい人のうしろについていくと上達したかのような一瞬一瞬を味わいますが、ちょうどあんな感じで、知らず知らずのうちに心地よく40分近くを泳いでいました。

寒の戻り。雨。

バスを待っていると僕の名前を日本語で呼ぶ声がきこえた。
日本語の読み方を知っている人は限られている。
人恋しさのあまりの空耳だろうか?と思いつつも、きょろきょろするとバス専用路線のひとつむこうの車線のタクシーの窓が開いて、かつて、ほんの短い間、ともに同じ夢に生きた人が手を振っていた。
もう何年ぶりだろう。5年、10年?
これから病院だという。
セラピーを受けに行くんだ、という。
バスの車線ひとつを隔てながら、お互い大きな声で短い会話をする。
鬱病を煩ってもう随分になると思う。
彼から「鬱病と診断された」と聞いた時、まわりの誰も本気にしなかった。
他人のことを人一倍心配するくせに、ずっと自分の心の状態に苦しんでいるんだとあらためて気づく。
信号が変わった。
なつかしい笑顔のままタクシーの窓が閉まる。
あんな大きな声で呼んでくれたことが、とてもうれしかった。
もう少しうまいこと生きていって欲しい。
もう少し楽に生きていって欲しい。
明日、電話してみよう、と思う。

春の日に思うこと

若い頃、志望していた学校に落ちて、それでよかったことがたくさんあるなぁ、と思っていた。
そしてその後、会社を辞めて、一人で仕事を始めて、収入ががくんと減って、それでよかったことがたくさんあるなぁ、と思う。
これからもそんなふうに良いことがきっとたくさんあるのだろう。
そう思いながら仕事をしている。

この仕事を始める当初は「店を持ちたい」と思っていた。
できれば、収入を補うための副業からはさっさと手を引いて、本業一本でやりたい、とも思っていた。
でも、段々と、そういうことにそれほど強いこだわりを持たなくなって来ている。
どんなかたちであれ、お金がなんとかまわって、この仕事を続けて行くことさえできれば、いいなと思うようになってきている。
昔の人々が情熱を傾けた一冊一冊をこの目で見て、この手で触れることをずっと続けて行くことさえできれば、どういう「かたち」であろうとかまわない。
僕の手にとどまる時間はできるだけ短いほうがよいのだけど(笑)。
まずは「続けて行くこと」。そのために、どうすればいいのか、今日もいろいろ考えている。

梅雨が明けたよ!?

さきほど近所のスーパーに行く為に外に出て、路地の角を曲がった瞬間、
サッと微風が吹いて濃厚な真夏のにおいがしました。
もう梅雨も終わりだ、と心に決めて(決めていいのか?)、
暑さのために人影もまばらな近くの公園を歩くと池には蓮の花が今にも咲こうとしています。
いよいよトンボも飛び回り出していて、心がはずむ。
季節のちょとした変化を感じ取れる瞬間。
若い頃は少年時代に比べ、その中に入れないことに焦燥感を味わったものですが、
今は、大丈夫な気がしています。
もうぼろぼろになった手元の昆虫図鑑を眺めていると、
夏の夜に蛍光灯に飛んで来たウンカやヨコバイ、コメツキムシ、
草原で葉の上にへばりついていた不敵なムシヒキアブ、
夏の朝、新聞を取りに下に行くと、階段の隅に顔をかくすようにじっとしていた小さなコガネムシ
家の軒ににぎやかに巣をかけていたセグロアシナガバチ・・・
およそ採集の対象ではなかった虫たちの方がむしろ遠い夏の日々を鮮明に思い起こさせてくれるのは、
なぜなのだろう。

よく眺める図鑑2種。

台北の梅雨の花

ひと月に一度、バスに乗って、散髪屋さんに出かけます。
いわゆる「家庭理容」と呼ばれる町の小さな散髪屋さん。
200元(570円ぐらい)なり。
今日は暇だったらしく、僕が行った頃にはカラオケで台湾語の歌を熱唱してました。
音がかなりはずれてた・・・
さっぱりした後に附近で昼食をとり、歩いて5分ほどの植物園に立ち寄るのが楽しみです。
今日は牛肉麺。好きなのはスープの赤い「紅燒」ではなく澄んだ「清燉」。
空気はねっとりと肌にまとわりつき、朝から少しぐずつき気味の空模様。
それでも面倒なので、傘はもたずに外出すると、植物園を歩く頃には雷が鳴り始めました。

すくっと立ち上がる姿が清楚な「葦葉蘭」が咲いていました。
トケイソウも。
蝶の姿はタイワンモンシロチョウが目立つばかり。
蝉の声もまだ無く、ケラがよく鳴いていました。


家に着く寸前におおつぶの雨。
全身びしょ濡れも爽快、水不足の続く台北には恵みの雨となりました。

久しぶりに町の様子を・・・

台北、今日は午後から爽やかな晴れ。
日も随分長くなったので、副業で行っている仕事を終えてから、少し町を歩いてみました。
徐州路のクスノキの並木で深呼吸をして、東へ向かって銅山街を歩き、
できたばかりの公園を南に折れて、仁愛路を経て、臨沂街へ。
仁愛路の廃屋となった古いビルを見上げる。

前から少し気になっていたガラクタ屋さんの軒先を冷やかす。
子供の頃、実家にあったのと全く同じマグカップを見つけたので100元で買い、
それを免罪符に店の写真を撮らせてもらうことにしました。

器、マッチ箱、古書、CD、時計、ノベルティーの人形・・・
小さな5坪ほどの店に並べ切れないものを外に出しています。
このあたりはほんの10年ほど前までは植民地時代の官舎(?)と思しき日本家屋が立ち並んでいたところ。
久しぶりに歩いてみると、その跡形もなく瀟酒な新しいマンションが次々と建てられていました。

「梱包」と「命日」

郵便屋さんの「小原、掛號!」(小原さん、書留!)の声。
待っていた荷物を喜び勇んで階下に取りに行き、捺印。
持って上がって、外箱の変形に気づく。
さらに、中が湿っぽい。
あろうことか本は剥き出しで箱の中に納まっている。
開けた途端に落胆。
Berge's Schmetterlingsbuchのオリジナル装幀の第7版。
見事に濡れていました。

郵便局に電話をするとすぐに係の人が撮影に来てくれました。
ここ最近のドイツからの荷物で同様のケースが多発している由。
台北は昨日、今日と雨は降っていないので、おそらく犯人はドイツの大雪。
でも一番の原因は梱包の杜撰さ。
おそらくは荷崩れをして積もった雪の上に落下。
おざなりな梱包の箱はつぶれ、そこから雪が入り込んだ模様。
ドイツの仕入先にすぐにメールをしました。
写真を添付して。

もちろん返金してもらいますが、何よりも駄目になってしまった本を見るのがつらい。
どうも午後はショックでまともな仕事ができませんでした。
そうか、荷物が破損して届くと、こんなに気持ちが調子悪くなってしまうんだな。

梱包。
胡蝶書坊では、万一落とされても、象が踏んでも!、大雨が降っても大丈夫な梱包を、との思いを新たにした次第。

そして今日は京都にあったブックカフェ、黒猫堂の高橋さんの推定命日。(一人暮らしをされていたので)
そっと台所で手を合わせました。