無いことの価値

テレビがない生活を始めて、いつのまにか半年を過ぎました。
特にテレビが嫌いな訳ではなく、なんらかの「主義」があるわけでもなく、単に今まで自分でテレビを買ったことがない上に、昨年夏に引っ越したこの家にはテレビが付いていなかったのでした。
京都のSさんもテレビの無い生活をしている、と伺って、そうか、それも良いかも、となんとなく買いそびれたままに今日まで来ている。

当初は「人が来た時に、間が持たなかったらどうしよう。」という心配を本気でして(本当に本気でして)、びくびくしていたのですが、次第に「無いこと」が普通になり、来てくれる友人たちもそのことに馴れ、あれ、案外無くても過ごせるものだな、という日々になりつつあります。


その分、FMを聴くようになったのですが、ここ数ヶ月、これでもか、とばかりに色々なバージョンで登場するのがマンションの広告。
男「見ろよ、これ。家具無し、ケーブルテレビも引いてなくて、ブロードバンドも無くてNT$16000/月の家賃だぜ!」
女「あら、まだ借りることなんて考えてるの?家、買っちゃえば?」
男「そんな甲斐性、俺にはないよ。」
女「MRTの駅にも近くて、家具も付いてて、ジムとプールもあって月々NT$12000。借りるよりやすいわよ。」
男「ええ!!!」
というような会話が自分たちの発する声に酔ったような気取った雰囲気で進行していきます。
最近始まったのは女性と女性のバージョン。


でも、多分、このマンション、客の心理を読み違えてる。
「付いてること」を良し、とする人、おそらく少なくなっているのではないだろうか。
多分、何もなくていいから、(特に、大家さんがとってつけたようにあつらえた黒いビニールのソファーセットとガラスの天板に金色のプラスチックの猫脚のついたテーブルはいらないから)、自分なりにシンプルに住みたい、という人が増えているような気がする。
あること、だけではなく無いことにも価値があると考えている人が少し増えているような気がする。


多分、売れていないのでしょう。もう何ヶ月も広告は流れています。